御所の町並みと奈良の民家の小屋裏(杉・桧の丸太を小屋組に使うことも多いのが特徴)
奈良のよさを大事にしたいと思っている設計事務所です。奈良に生まれ、京都で学んだ町家や数寄屋の技術を活かし、木造建築を設計・デザインします。(生家のある八木を起点に、奈良一円にうかがいます)
主な業務
古民家再生・リニューアル
古民家・町家の耐震診断(限界耐力計算)・耐震リフォーム
(★伝統的な入母屋民家の耐震診断と補強計画-限界耐力計算による精密診断は、市の精密診断補助金を利用できます)
戸建て住宅のデザインと設計・監理
茶室・数寄屋建築など特殊なものの設計
伝統建築の調査・記録や登録文化財の申請
(一級建築士事務所 兵庫県登録:第01A00210号)
女性建築士として
いつもキッチンに立っているわけではないですが(笑)、やはり炊事や掃除・洗濯のスペースは気になるのが女の性分。楽に使えて居心地のよい、そして友達を招くことのできる「家」、が女性にとってうれしいですね。
また、自身の家族介護の経験から、困ったことや助けられたことの数々が思い出されます。ちょっとした気遣いで、介護するほうもされるほうも、心地よいと感じる設備とインテリアをご提案したいと思います。
奈良県の民家の特徴
奈良県でも中南和の民家は太くまっすぐな杉や桧の丸太を小屋組に使っていることをよくみかけます。通常梁組には松を使うことが多いので、これは奈良の民家の特徴のひとつでしょう。さらに、二間四方を対角線に結ぶ大きな水平筋交いにもこうした直材の杉丸太を渡しています。
こうしたところに耐震の意識が感じられるのも奈良らしさでしょうか?
近い過去である幕末に襲った「安政の大地震」の記憶や日本一木造文化財を持つ奈良県では明治以降、全国に先駆け文化財修理が行われたことで木造の弱点と補強方法をよくしっていたせいかもしれません。
また木のくに「吉野」が身近にある奈良らしい構造の考え方、木の利用方法ともいえます。
ふるさと橿原
私は1960年に奈良県橿原市に生れました。古い町並みの路地を走り抜け、耳成山や香具山周辺の野原を駆けまわって育った気がします。
ご存知のように、橿原市には今井町やそのとなりの八木、また醍醐や葛本、新口、十市など近隣の古い集落は、ほとんどが木と石と漆喰、そうして日本瓦でできていました。格子や板塀・壁は古びて黒くなっていましたが、白い漆喰がきりっとその輪郭を見せて美しい町並みがそこにはありました。また、瓦屋根の深い軒先が建物に陰影を付けて、奥ゆかしく日本的な風景がいつのも町の風景としてあったような気がします。
八木下ツ道を望む路地、ある雪の日の風景です
もちろん、通った幼稚園も小学校、中学校も木造校舎でした。たぶん松板だったと思いますが、黒光りする板貼りの床の廊下を駆けたときの柔らかい感触、ぞうきん掛けのときに、トゲが刺さったことなどが思い出されます。身近なもののすべてが当時は自然の素材で一杯でした。
また、暑かったし、寒かったし、家の中にネズミや蜘蛛・へびがしばしば登場する住まいの環境でしたが、夏は扇風機、冬は練炭火鉢で過ごし、ネズミ取り機を仕掛けたりしてなんとか平和に過ごしていられたと記憶しています。建築についての原初体験は、生家である大正時代の町家の二階から急な階段をころげ落ちたこと。また、建築観としては、近所の友人宅(八木や醍醐)のどこまで行っても家の奥にたどり着けないような迷路のような空間が印象深く思い出されます。