宇治 松殿山荘 珍しい太鼓塀
土塀調査から
篠山城下での土塀修景のお仕事で土塀のいろいろに出会いました。建築と違って普請帳でも残っていなければその建設年度を解明するのがとても難しいことが分かりました。
敷地境に地面からにじり出たような「守りの形」が土塀そのものではありますが、それ故に景観に占める割合も大きい。だがその割にざっくり「土塀」や「築地塀」で片付けられているようでは惜しい景観要素といえます。
少しでもその出会いに色を添えられるように今まで出会った土塀をここに集めてみました。・・・少しずつUPします。
築地垣と土塀について 日本の壁-鏝は生きているより抜粋
左官工事に属する築地垣と土塀のはじめは、板を横に立て列ね、両側より土をもって覆いかぶせたのが最初といわれ、原型は中国や朝鮮半島なとに遺構がある版築工法によるもの、または日干し煉瓦積み工法によるものなどがその源流とみられる。
その古い遺例としては、法隆寺大垣や西宮神社の練り塀、三十三間堂大閤塀なとが有名である。それらは版築による叩き込み工法であるため、その表面が風化による剥落を受けて横筋状に縞目が出ている状態がことに美しい。また、龍安寺油土塀、山川土問明、向嶽寺潮土塀も同様の手法によるものである。
築地の特色は、表面に須柱が立てられることと、木造瓦葺の屋根がつけられていることである。当初は壁体を隙間なく積み上げ式で築造されていたが、時代が下がるにしたがって簡略化され、京都御所や東西本願寺のように、表裏二重の木舞下地による真壁式とされている場合が多い。
また、仕上がった壁面に、横に白線を三本または五本と奇数に入れて、俗に「筋壁塗り」とされる場合がある。筋壁の起源については現在これといって確実な説明はないが、権威とか格式をあらわす
一方法として、朝廷や役所より許された社寺などにのみ塗ることができる、いわば名誉ある仕上げ工法である。
天竜寺の練り塀 あしらわれている古瓦はかなり意図的
宇治松殿山荘の白土塀
宇治松殿山荘の○◇穴空き築地塀
土塀 参考文献
日本門牆史話 著/岸熊吉 昭和21(1946)年
日本の美術212 門 編集/岡田英男 昭和59(1984)年
日本の壁-鏝は生きている INAXBOOKLET 監修/山田幸一 昭和60(1985)年
新訂 日本建築 原著/渋谷 五郎、長尾 勝馬、著/妻木 靖延 平成21(2009)年
2022年福崎の旧小國家での土塀再生ワークショップの様子 為せば成る好例
空土塀
強固に見える土塀も実は中が空洞の空土塀がときどきあります。内部は筋違で突っ張った土壁が土塀を形作っています。軒の出の小さい瓦葺き、しかも漆喰や土塗りで100年以上保っています。