夏障子を求めて2

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夏障子の押さえ縁

さて話は戻りますが、中桟に簾を仕込み「押さえ縁」として煤竹を使う場合、薄くスライスした(白身側をそいだ)煤竹の両端は先細にそいで竪框に差し込みます。その後予め堅木を柱状に埋めておいた横桟に小さい丸い鋲頭の真鍮釘、もしくは燻した鉄釘を打ち込みます。できたら葦と葦の間に釘を打ち、肝心の葦をつぶさないように打つのが理想です。

160223夏障子の押さえ縁 煤だけと真鍮釘

ちなみに表千家ではこの煤竹を部屋内にみせますが、その他の用途では木製の桟の側を部屋内にみせます。またよしの「透け感」を損なわないようにするため、この横桟は大きく角度のある面取り(猿頬)とするか大面取りとするのが定石です。中には中桟見付けに帯状に煤竹や胡麻竹を埋木することもありますが、芸の細かさがかえって野暮ったくなることもあるので気を付けましょう。

さて上質の骨組みにしっかり織られた簾が「きりっ」と納まり、涼やかな押し縁で仕上がった簾戸には、同じく涼やかな竹の引手をあしらいます。また3尺巾ほどの簾をいいとこ取りして5.7-5.8尺高さの建具に仕込むため、割り付けの加減もあり、下部や上部に腰板、または帯板を入れることがあります。

縁-座敷では水腰(腰無し)か低い腰付きとし、座敷-座敷の簾戸(襖の入替えで溝ピッチが小さく建具見込みが小さい)には中帯を入れます。これらは前述のように面として弱い簾戸の強度を確保するためにも必要と言われていますが、そうした用(構造上の必要性)に対して帯や腰板にここぞと透彫や銘木をあしらうことでまたもや涼やかさを競っているのもさまざまな簾戸をみているとわかってきます。

こうして見目、強度両方があいまったうえ、感性と技術が結集したことが、現在ある簾戸ができあがった由ということでしょうか。

葦の種類

さて葦にはミロク(弥勒、美六などとも表記)やダイジン(大神)といったいわばブランドがあり近江、多くは近江八幡で生産されています。簾戸が多く作られたのは京都の町家文化の黄金時代でしょう。京都のセンスに叶うものに収れんしていったといえます。大神葦とは、かつて近江八幡市の円山で伊勢五十鈴川から持ち帰って植えたもののため「大神」と名付けたそうです。3-5年寝かせることで色目が立ち、節なし仕立、縞柄の葦戸に映えます。

弥勒葦とは、織田信長の焼き討ちを逃れて葦原に隠された弥勒菩薩からとった名で、やはり近江八幡市の円山が原産です。独特の落ち着きある光沢と色味が楽しめるそうで、京式(ばら織り)が向くようですが、現在は絶滅した種類で2-30年寝かした在庫を使っての対応(製造)になるそうです。

ミロクもダイジンも現在新しい材料はなく、在庫頼み、または似たようなもの頼みとは寂しい話です。

夏障子 京好みと大坂好み

いっぽうで大坂好み、江戸好み、また時代が下るとさまざまな簾戸が現れます。中には萩やガマを使った侘びたもの、また竹ひごでできた御簾を仕込んだ雅なもの(細く繊細)も作られます。簾を横張りにしたり格天井のように市松(正方形の色紙を並べたような柄でマス目毎にすだれの縦横をかえる)にしたりしたものまで現れます。桟割の間中でもうひと織りされたものもあります(織り糸をみせる)。

現在はエアコンを使うため目に涼やかな簾戸も逆にあまり見かけなくなりましたが、空調を考えて中には簾戸にアクリル板をはめこむ例もあるようです。

もう一度原点に戻り考えてみますと、コンチキチンと祇園囃子のお稽古の始まる時分、襖や紙張り障子をはずして大建具から書院障子や欄間、屏風や衝立まですべてを簾戸に入替えるエネルギーは大変なことです。そこまでして望む京都の夏、舞妓さんの意匠やかんざしはあたりまえながら普段着の庶民でさえ季節替えを厭わず目に涼やかなものが大事とされました。そうした時代と伝統に意味を見いだす京都人のエネルギーに感服する次第です。

ちなみに猫間障子や雪見障子のようなものの「部分取り替え」で部分的な簾戸を用いて夏らしさを演出する妙技もあるようです。建具毎の出し入れはスペースも必要ですし、玄人がおこなっても建物を傷つけやすい行為でもあります。ただしこうした年二回の建具の入替え時に、大工さんが下がった鴨居を調整したり、簾戸の入っている間に表具屋さんが襖や障子紙を張替えたりと結構、職方の仕事を回す知恵(技の継承や普請のきっかけ作り)ともとれます。

京都・建築と町並みの「遺伝子」

山本 良介 建築思潮研究所著 建築資料研究社 1999-01

京都の町並み、その歴史的な意味を解説。

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