祝!重文決定
2016年10月21日の国の文化審議会で、数寄屋造りの近代和風建築として文化的な価値が高いと評価され重要文化財に指定されるよう答申。161023
座して釣り糸を垂れるが如く、「リラックス」が行き届いた邸宅建築で、数寄屋建築として学ぶところが大変多い建物です。
静岡市清水興津清見寺町よりS47年明治村に移築、2003年登録有形文化財→2016年国の重要文化財
設計監督者:則松幸十(日高胖の関わりもあり)、大工:塩津與三郎登録説明:1920年(大正9)築。木造平屋建一部2階建、屋根は入母屋造、桟瓦葺で軒先を銅板葺とする。外壁は檜皮張。玄関や広縁付の座敷などに面皮の柱を多用する。1階の座敷に隣接する暖炉付きの応接室や浴室は昭和初期1929年の増築。上質の数寄屋建築。
西園寺公望が71歳のとき建設。政財界の要人が頻繁に訪れたといわれています。1940(昭和15)年に91歳亡くなるまでの終の棲家としました。よってデザイン(設計)も当時既に高齢の西園寺公望にとって目に触らない、自然と共棲するごとくの「草庵」を加味した趣向となっています。設計においても施工においても表立たないが、気遣いの深さにその質の高さを感じてやみません。
西園寺は「陶庵」と号したごとく、日本的で文化的な暮らしがここにはあふれていて、またVIP重要人物として女中や書生などと暮らすハイソな生活感もただよい、当時でも特別な邸宅と思われます。This is the SUKIYA.
軽く、柔らかく、たよりない「杉材」の多用は、やはり住み手の年齢もあろうかと感じます。とげのない、ぎらぎらしない材料選びをして大工の技量でさらりと使いこなしている見本。現在人には少しあっさり・さっぱりしすぎていますがこれは鑑賞者の当時(2004)の視点であろうかと思われます。年月が経ち私もだんだんよくわかるようになってきました。
数寄屋の設計には、そうした毎日ここに棲み暮らすお施主さんへの想像力が必要なんですね。
よくぞここに遺ったものだとうなる秀作であり、ひとつの建物が物語るものにこちらの理解力を試されるような建物といえます。
しかし、こうしてこの地で再生されてのち、まだまだ今後も存在し続ける難しさを思うと明治村の建物管理のみなさまに深い敬意を覚えます。
惜しいのは、「家人を失った骸」がこの「建物の余生」だということでしょうか。