さよなら江戸後期の町家建築 街道筋の古町家

自治体に土地寄贈で、蔵ざらえ&解体します

191020長谷寺参道の仕舞屋 町家
長谷寺参道の仕舞屋

【相談】奈良県の古道に面する細長く深い敷地に建つ町家の所有者です。いわゆる「看板建築」ですが、文化財関係者によると江戸後期まで遡るそうです。かつての広い「通り庭」は、今は床上げしたダイニングキッチンになっています。もう親族のだれもここに帰ることもないので、市に寄贈を願い出ました。幸い、町並みのなかで必要な施設に使えるとのことで、受け取っていただけました。が、「更地にすること」が条件で、この町家を整理することになりました。古道具屋さんに「蔵ざらえ*」をお願いし、手放して惜しくない物は有償で引き取ってもらいました。

金銭価値はなくても、地域の歴史を語る器物・文書は地域のまちづくり団体などに無償で提供することになり、これでこの古町家も終焉のときを迎えます。感無量です。

ご先祖への申し訳ない気持ちもありますが、いつまでも無住であるのも地域にマイナスではと考えた次第。地域の為にこの地が活用されることを願っています。こうした措置にご意見があれば、ぜひ今のうちに聞いておきたく相談します。

【答え】
古い町並みが残る大和の街道沿いの民家です。とはいえ、戦後は店舗も並び栄えた町ですが、大型店舗ができたり、大都市へのベッドタウンになったりで、本来街道沿いの町家が担った「商店としての機能」を終え、その後「仕舞屋*」として、また昭和中期には「看板建築」にリフォームされ、住み継がれた家です。
周辺の古町家がどんどん姿を消す中、江戸期に市井の「普通の家」であったものも、今となれば「貴重な文化資源」と考えてはいけないであろうか。
今回の「寄贈→更地化」という結論には正直、寄贈受け手の「文化財意識」に対して疑問が残ります。地域の「民度」の反映かと思えば、少し悲しい事案です。

この際にお願いしたいことは、間取り図や断面図など、「町家建築としての記録」を通して地域の歴史・文化を残すこと。そして文書や器物をなるべく残して検証していくことを提案します。多分それらの「時代の生き証人」から、江戸期のものから戦後の高度経済成長期のこの町におけるいろんなことが見えてくると思います。

もちろん「召集令状」や出兵時に寄せ書きした「日の丸旗」など、見方によれば「負の遺産」もあると思いますが、プライバシーをうまくカバーしながら是非、次世代に向け、大人が子供達にバトンタッチしていただきたいです。

地元の文化財課は勿論、地元教育関係者、歴史家、大学関係者などのアカデミックな観点が第一。次に、まちづくり団体や商工・観光関係者にとっても「地域の歴史」を学ぶ機会として、ボランタリーな人員支援をお願いしてもいいかもしれません?ひいては、この際に近所の家に残る文書・器物を見直す機会にもなるかもしれません。

古文書系はうまく行けば地域の図書館が受けてくれ、場合によっては釈文【しゃくもん】もしてくれます。

地域連携をする大学系は、学部間で連携して、総合的なサポートしてくれるかも知れません。

 

200309飛鳥川神道橋横 小房の看板建築
飛鳥川神道橋横 小房の看板建築

町家の用語解説

看板建築

通り沿いの町家などで、ファサード(表)だけ現代風の外観に改装した建物をそういう。まるで「看板=仮面」を被った、でも実は、中身は戦前の伝統建築だった、というもので、戦後の高度経済成長の時期に生活様式の欧米化と洋風へのあこがれとともに、日本中にあふれた様式。最近は仮面を外して「先祖返り」する風潮がある。

今や「看板建築」そのものがまるで、昭和にタイムスリップした感覚を思い起こさせ、若い人や、古い町並みを「売り」にする観光地でも受けている。

通り庭

町家で表から裏口まで続く土間のこと。間口が狭い町家が連なる町中の民家では、家の中を通らないと裏庭に出ることができません。荷物やくみ取りにかかせない土間空間です。途中台所があり、かつては水場(井戸や流し)とかまどがありました。蔵ざらえ:手持ちの商品を整理するため安値で売ること。=蔵払 【くらばら】 い。「閉店のため蔵浚えする」という。この度は本当にしばらく開かずの土蔵だったが、解体のため、中を確認することをそう言ったもの。

191020長谷寺参道の町家 昭和の店構え
長谷寺参道の町家 昭和の店構え

仕舞屋【しもたや】

店じまいをした家の意の〈仕舞(しも)うた 屋〉から変わった言葉で、商売をしていない家、やめた家をいう。表に「ミセ」の間(商用空間)を持ち、多くは格子戸や「ばったり床几」(寄せて折りたたむことができる台。 本来は「揚げ店【あげみせ】」と呼ばれ、商品の陳列台)など町家独特の特徴をもつ。近代に商売をやめた(勤め人になった)町家は都市化の進んだ古い町並みに多く、看板建築で残るか多くは近代的な建物に更新されたので、現代では希少である。が実際の近代的な住まい方には機能的に問題も多く、古くさい、寒い、暗い、個室がとりにくい、、、といったデメリットが嫌われた時代が長かった。代々継承してきたプレッシャーで不便を捺して我慢して住み続ける向きがあったが、希少に残った仕舞屋は、今は日本の宝である。町全体で観光化した高山や倉敷などでは早くから風情を活かして観光客相手の店舗や飲食店などに活用されたが、観光化されていない町では「用済み」建築となってしまった。このケースでも建物は古いままリフォームを尽くして昭和平成を経た建物である。

釈文

本来は仏教の経論を解釈した文句。文化財用語としては古文書の解読・解釈文・解説文のこと。