建築ガラス事始め
17世紀の中ごろ、オランダでソーダガラス製の板硝子がつくられるようになり、やがて日本でも洋館に使われた「上げ下げ窓」によって住宅にガラス窓が見られるようになった。
その後、長崎出島のオランダ商館を通じて日本に伝わった板硝子は紙張り障子に組み込まれるようになる。日本でも早いところで、江戸初期には座敷の建具にガラスがはめ込まれというが、本格的には明治以降、広く利用されるのは大正期以降である。日本での板硝子の生産は明治40年代以降である。
大阪府庁舎の亀甲模様の耐火硝子 戦後にはこの編み目が菱型や縦横になる
大阪府庁舎本館T15(2021.7月登録文化財に)・・・戦前最大規模のセセッション庁舎
RC6階地下1階建、設計は後に名古屋市役所などを手掛けた平林金吾と同僚岡本馨。背後に議会棟を張出すコの字形平面で、外観はセセッションを取入れ、玄関を縁取る装飾に意匠を凝らす。内部玄関ホールは大理石貼の3層吹抜に柱が林立し、見応えがある。正庁や議場も装飾豊潤。
明治中期には「硝子障子」が用いられるようになる。が、当時はガラスを切るのにも不慣れがあり、定尺の七五といって一箱75枚入りの1尺×1尺3寸4分(30cm×40.6cm)の板硝子を使ったという。
建具意匠が硝子サイズに合わせたともいえ、同時代性のある硝子戸意匠が表れる。
硝子障子
昭和初期には普及し、紙張り障子が硝子障子に取って代わるようになる。採光、防寒、やがて防犯にも見込まれるようになるが、昭和50年代にはアルミサッシが主流となっていき、ガラスのありがたみからアルミ工業製品であるサッシの時代が来るが同時に雨戸の姿が消えていく。
いっぽう網戸は、昭和初期から使われ、当初はもちろん金属製の網。当初は台所や水廻りに限られていたがその後価格が下がって広い面積の開口部にも使われるようになる。
昭和40年ごろからはサランネットに変わる。
建具による時代考証は難しいが、改変の多い住宅ではこうしたガラスなどの素材により時代性のてがかりとなる。
ガラスの歴史・・・2022発刊!
ガラスの歴史 : 輝く物質のワンダーランドへの誘い 単行本 – 2022/1/15
田中 廣 (著)
長年に亘り、ガラス建材業界で活躍してきた、(株)タナチョーの田中廣社長が、愛情をこめて書き綴ってきた、魅力あるガラスの世界を本にした。
本書は、ガラスの持つ素材の特性の素晴らしさを紹介する。5 000年の歴史を持ち、古代から中世、近世から現代まで、ガラスの発展についてコンパクトに纏めたものである。ガラスは、経済史的にも、技術の発展史的にも、大変興味深い展開をしてきており、今後も、環境・防災・健康・IT対応の世界で益々進化していく見込みである。
防空壕の亀甲硝子
宝塚市の旧松本邸(登録文化財、主屋はS12築)の防空壕に使われています。
西宮市との市境近くの住宅地に建つ。寄棟造、S字瓦葺、木造2階建の洋風住宅で、腰を下見板張とし、ペアの持送りが支持する玄関庇、1枚ガラスの上げ下げ窓,西面のベイウィンドーなどが特徴ある外観をつくる。カリフォルニア大学出身の建築家川崎忍の設計(国指定文化財等データベースより)
寸尺モジュール、トラス小屋。通し柱は耐力が必要な方向に長片を持つ五平柱を持ち、水平構面に多くの火打ちを備え、1995阪神淡路大震災にもわずかな被害で済んだという。現在は宝塚市に寄贈され時折の公開活用を試みている。
防空壕の硝子には亀甲網の硝子を使い備えている。